軍艦島はなぜ心霊スポットに?ストリートビューの心霊写真や怪奇現象が怖すぎる

軍艦島は長年、無人島であり忘れ去られた島ともされていました。

しかし、廃墟ブームにより、その存在が再び注目されることに。

 

明治から昭和にかけて、過去の生活ぶりが見られたりと歴史的にも価値のあるものとなっています。

そんな軍艦島では数々の心霊現象が確認されており、心霊スポットとも言われています。

 

背景には良質な石炭を採掘する為に様々な出来事がありました。

心霊スポットとも呼ばれる原因になった背景とその心霊現象について調べてみました。

軍艦島とはどんな場所?心霊スポットになった背景

軍艦島

軍艦島は長崎県長崎市にある島の通称です。

正式名称は端島。羽島と書かれていたこともあったようです。

その姿が軍艦に似ていることから大正時代には軍艦島の通称が用いられました。

明治から昭和にかけて炭鉱の町として栄え、1960年代には東京以上の人口密度がありました。

 

しかし、1974年に閉山となってしまい島民が島を離れました。

それからは無人島となっています。

 

2001年までは三菱マテリアル所有でしたが高島町に無償譲渡されました。

その後、高島町は2005年に長崎市に編入されたため、現在は長崎市に継承されています。

 

長らく島内への立ち入りは禁止されていましたが、2008年に条例が成立したことにより一部で観光客が上陸し見学できるようになりました。

ただ、島の上陸には安全基準が設けられているため、年間100日程度が上陸できる日数だと見込まれています。

 

2015年にはユネスコの世界遺産に登録されました。

明治日本の急速な発展を遂げた炭鉱として文化遺産にされています。

 

そんな軍艦島は心霊スポットとも言われています。

その背景には過去の環境によるものが原因だとされています。

 

戦時中の闇の部分は住人の間でも口を閉ざしていた程のようです。

ここではそんな闇とされる部分、心霊スポットとして目をつけられた原因を紹介します。

拷問が繰り返されていた

1890年代に隣にある高島の納屋制度が社会問題になりました。

この制度は端島でも同様に敷かれていました。

 

事業主が納屋頭と炭坑員を雇うものの、炭坑員は会社所属ではなく納屋に所属するという間接的な雇用制度になっています。

事業主から直接雇われた納屋頭は炭坑員の募集から賃金の配分、暮らしの面倒まで見るようです。

 

炭坑はヤマとも呼ばれていて制圧ヤマという厳しい掟がありました。

掟に従わない場合、納屋頭による制裁が行われます。

 

盗み、賭け事、逃亡、浮気、喧嘩などを禁止とする掟です。

制裁では天井から吊るされ杖で殴られたり、手足を縛られ水をかけられたり棒で叩かれたりといったことが多く行われました。

 

娯楽の少ないヤマではこれらの制裁は見せしめとして楽しみの一つにもされていました。

軍艦島に限らず離島は閉鎖空間であるため、制圧ヤマになりがちのようです。

 

その環境は鬼ヶ島と揶揄されるほどのものでした。

しかし、生活のためには働くしかなく、他の食い扶持を探しながらも炭坑員をするしかなかったと語られています。

 

高島で社会問題になったことにより納屋制度は1897年に廃止されることになりました。

所謂タコ部屋を連想させるような制度でした。

 

納屋頭の上手い口上に騙され、訪れた炭坑員もいたようです。

戦時中の話が有名ではありますが、それ以前から強制労働に近い環境であったようです。

過酷な労働環境で自殺や事故死が相次いだ

軍艦島の抗夫

引用元:https://twitter.com

納屋制度が廃止されると全ての労働者は三菱の管轄となりました。

やがて第二次世界大戦が始まると多くの朝鮮人や中国人が強制連行の上、強制労働させられました。

 

朝鮮人や中国人の扱いは酷いもので暴動やストライキも起こっていました。

中には採炭で使用するダイナマイトをくすねて爆発させることもあったようです。

 

仕事ではいつ事故が起こるか分からないような環境で、体調が悪い場合でも坑内に送り込まれました。

朝鮮人や中国人は日本人とは別の重労働を課せられており、危険な場所での作業を行っていたとされています。

 

1939年から1945年の6年の間で端島の徴工兵の死亡者数は朝鮮人122人、中国人15人です。

病気や事故などで亡くなったり、逃亡による溺死もあったのではと推測されています。

 

ただ、これは火葬認可証付申請書に記された数であり、他にも暴行による死者や過酷な労働による自殺があったという声もあります。

 

一方、同時期の日本人の死者は1162名

元々の住んでいた数の違いもありますが、かなりの数になっています。

 

爆焼死、圧死、窒息死が主な死因となっている為、採炭中の事故が多発していたことが分かります。

勤務も1日12時間労働の2交代制でかなりきついものでした。

 

事故が多発していたことは確認されているものの、自殺者に関しては公にはなっていません。

しかし、変わらず過酷な環境でありましたのであってもおかしくはなかったでしょう。

軍艦島には遊郭もあったらしい

軍艦島の遊郭

納屋制度の廃止後には急速な福利厚生が整えられました。

教育機関、医療機関、商業施設など1937年の時点で既に高レベルで存在していました。

 

のちに高校と墓地を除く、全ての施設がこの小さな島に集結しています。

遊郭と呼ばれる施設も存在していました

 

日本人用の「本田」と「森本」朝鮮人専用の「吉田」の3件がありました。

徴工兵問題で大きく問題となりましたが、朝鮮人向けの施設で働く遊女は日本人と仲良くしていたとも言われています。

 

大正時代にはそれと思われる建物が確認されており、戦後も営業していたとのこと。

しかし、朝鮮人が軍艦島を去った後には吉田は別の店へと変更されました。

 

本田と森本は続けられていたものの、やがて長崎市内に繰り出す人が増え、需要は減っていきました。

そして1957年に売春防止法が制定されたことにより姿を消しました。

 

ただ、遊郭というよりかは遊女屋というものの方が近かったようです。

あくまで会社の私有地内の施設で独身の炭坑員に向けた施設で、一般の町にある遊郭のような発展はなかったようです。

 

軍艦島は遊郭以外にも娯楽施設がたくさんありました。

映画館、ビリヤード場、パチンコ店、卓球場、碁会所、雀荘、スナックなど。

 

どれだけ生活環境が良くなろうと仕事が危険であることには変わりありません。

そういった炭坑員の憩いの場として娯楽が発展したのかもしれません。

軍艦島で噂される怪奇現象や都市伝説

ここからは軍艦島で起こる心霊現象や都市伝説を説明します。

過酷な環境で働いた炭坑員や強制連行・労働によって連れてこられた朝鮮人や中国人。

 

理由は様々でしたが多くの人が亡くなっていました。

現在は上陸ツアーが行われたりしてその地に訪れることができるようになっています。

 

また、2013年には長崎市の協力の下でGoogleストリートビューが公開されました。

それらによって数々の心霊現象が報告されています。

 

未だに無念の念を抱えて亡くなった人々はこの島を彷徨っているのでしょうか。

ストリートビューの写真に謎の手が映っている

Googleストリートビューでは立ち入り禁止区域や屋内も見れるという事もあり話題になりました。

しかし、その中には手が見えるという心霊現象が報告されています。

軍艦島 ストリートビュー

軍艦島 ストリートビュー2

手だけということで不気味さがありますね。

 

ただ、生身の人間に近いものなので偶然移りこんでしまったものだと思います。

とはいえ、そうとも言い切れないのはやはりこの地に曰くがあるからでしょうか。

子供の声や姿が目撃されている

軍艦島では子供の霊の心霊現象も報告されています。

子供の声が聞こえる、霊を見た、写真に写ったなど。

 

ここに住んでいたのは炭坑員だけではなく、その家族も暮らしていました。

当然その中には子供も沢山いました。

 

数々の施設が詰まったこの小さな島は子供たちにとってどのように映っていたのでしょうか。

さまざまな思いが残り、霊として現れたという可能性もありますね。

心霊写真がたくさん撮れる

軍艦島では多くの心霊写真の報告がされています。

中には心霊写真を撮るために行くという人もいるくらいです。

 

軍艦島では多い時には5000人以上が住んでいたようです。

過去の因縁もあり、子供の霊と同じくいろんな念があるものと思われます。

 

とはいえ毎回撮影できるというわけでもないそうです。

心霊スポットに行くと呪われるなんて話はよく聞くものです。

 

あまり面白半分で行くようなところではないのかもしれません。

キャンプ中に1人が行方不明になった

軍艦島ではキャンプ中に一人が行方不明になったという有名な都市伝説があります。

一時は上陸禁止となったこの島では当然キャンプ場などありません。

 

最後の島民が島を去ったのは1974年4月20日です。

しかし、その後も作業員が1974年の末まではいたそうです。

 

その後も上陸は禁止されていたものの海上タクシーなどで上陸を試みる人がいました。

この都市伝説の元になったと思われる怖い話がありました。

 

それによると1970年代前後に少年5人が軍艦島に行き行方不明となった記事があったそうです。

とはいえその記事は見つからず、あったとすればもっと話題になりそうなものです。

 

結局、この話が本当なのか嘘なのかは不明でした。

島民が一夜にして消えてしまった

軍艦島では当時の生活が分かるくらいに物が残されています。

それによって島民は一夜にして消えたという都市伝説があります。

 

実際には一夜というわけではなく、閉山から3か月ほどかかっています。

物が残っているのは島を離れる際には新居の準備も会社側で行われており、あまり物が必要でなかったという話があります。

 

また、閉山となった際には企業誘致の案内もあったようです。

そのため、炭坑施設は残っていないのに居住地は残していたのかもしれません。

 

結局、企業誘致は行われず当初の取り決めで自治体へと無償譲渡したそうです。

他にもこの話に似たホラーゲームがあります。

Siren2では夜見島という軍艦島をモデルにした島が舞台であり、その島では島民が一夜にして消えたという話のようです。

モデルになったこともあり、軍艦島の都市伝説とされてしまったのかもしれませんね。

軍艦島に立ち入り禁止区域があるのは心霊現象のせいなのか?

軍艦島で観光ができるといってもごく一部の許可された場所のみです。

そういった立ち入り禁止区域は心霊現象が多いからと言われています。

 

実際には崩落している部分が多く、安全性の観点から禁止されているようです。

元々軍艦島では台風の被害が多く、荒波や風雨で急速に劣化したそうです。

 

当時の技術も未熟なものが多く劣化の一因とされています。

禁止区域なんて言われたら気になってしまいますよね。

 

ただ、危険な箇所が多いのでそういった部分はストリートビューで楽しむのが一番のようです。

まとめ

以上、軍艦島についての情報でした。

多数の人が暮らしたこの島は今なお静かに朽ちています。

 

下手に手を入れればその姿は失われてしまうのかもしれません。

いずれ崩れ行くとされる場所もあるので今しか見られない景色もあるでしょう。

 

興味がある人は是非訪れてみてください。

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