2022年5月、人気お笑いトリオ「ダチョウ倶楽部」の上島竜兵さんが亡くなりました。
5月11日の午前0時ごろ、上島竜兵さんが自宅でぐったりしているところを家族が発見し、その後搬送先の病院で死亡が確認されました。死因は自殺でした。
テレビで見かけない日はないといってもいいほどの親しみ深い芸人さんだけに、突然の訃報に、日本中が深い悲しみに包まれました。
この記事では上島竜兵さんがなぜ自殺したのか?について、ネット上で囁かれている5つの噂話から理由を考察していきたいと思います。
目次
志村けんの後追い説
上島竜兵さんは生前のインタビューでこう答えています。
自分で思うのは、僕は他の誰よりも“子分肌”っていうこと。相手が先輩の時はもちろん、後輩に対しても気持ちは“子分”。
この言葉は上島竜兵さんという人を端的に物語っています。
そしてそんな上島竜兵さんが、誰より「親分」として慕っていたのが志村けんさんでした。
志村けんさんと上島竜兵さんの出会いは1996年の秋のこと。上島竜兵さんと仲の良かったプロレスラーの川田利明さんの紹介がきっかけでした。
その当時、志村けんさんは「スーパージョッキー」や「ビートたけしのお笑いウルトラクイズ」等で人気を博していた「ダチョウ倶楽部」に関心を持っており、上島竜兵さんと接点を持ちたかったようです。
川田利明さんに何度も電話で呼び出された上島竜兵さんは、最初あまりの大御所からのお誘いに恐れをなして「志村けんさんとは会ったことがない」と断り続けました。
しかし、最終的には志村けんさんから直接「俺の酒が飲めないのか!」と言われ、驚いた上島竜兵さんが、深夜にも関わらず一時間でその場に到着したというエピソードがあります。
この出会いがきっかけで、その年の年末「志村けんのバカ殿様」にダチョウ倶楽部の出演が決定し、以後20年以上継続して出演するようになったのです。
プライベートでも志村けんさんと上島竜兵さんの関係は濃密で、連日二人で飲み歩いていた話は、芸能界では伝説とまで言われています。
上島竜兵さんは仕事が終わると志村けんさんに逐一連絡を入れていたようで「お前は俺の彼女か」と言われる程、公私にわたり行動を共にしていました。
またインタビューで上島竜兵さんは志村けんさんのことをこうも語っています。
“芸というか、人としての生き様を教えてもらいましたね。いいことも悪いことも、全部志村さんが教えてくれたような気がします。”
上島竜兵さんにとって志村けんさんとは「全てにおいての師匠」であり、とても大切な存在であったことがこの言葉から伺えます。
しかし、志村けんさんは2020年3月に新型コロナウィルスによる肺炎で亡くなりました。感染からわずか1週間程での突然の死でした。
この訃報は芸能界のみでなく、日本中に大きなショックを与えました。
どの年代の人にとっても、テレビを付ければ志村けんさんがいる、という状況は当たり前のものになっており、志村けんさんはいわば日本人にとって「笑い」の象徴ともいえる存在だっただけに、コロナウィルスの恐ろしさもあいまって、このニュースは非常に衝撃的でした。
そんな我々にとっても受け入れがたい志村けんさんの死は、公私共に師匠と仰いでいた上島竜兵さんには、もっと受け入れがたいものだったに違いありません。
上島竜兵さんの訃報を伝えるスポーツ誌の記事には
“「一人でお酒を飲んていても、ふと志村さんのことを思いだして涙ぐんだりするときがあるんです」”
と当時の上島竜兵さんのこころうちを吐露するようなコメントが掲載されていました。
以上のことから、上島竜兵さんが志村けんさんの突然の死によってもたらされた、深い悲しみと喪失感を長きにわたり引きずっていたことは想像に難くありません。
後追いとまではいかないですが、志村けんさんの死は上島竜兵さんを自殺に至らしめた一因ではある、と言えるのではないでしょうか?
コロナ禍やBPOによるストレス説
ダチョウ倶楽部と言えば、熱湯風呂や熱々おでん、キス芸など体を張ったリアクション芸が有名ですよね。
計算された3人のコンビネーションは素晴らしく、お約束とわかっていてもやっぱり笑ってしまうものです。
しかしながら、2020年以降は新型コロナウィルス感染症拡大の影響により、テレビ番組ではこれらのギャグを披露することは「密を回避することができない」という理由から自粛されています。
コロナ禍の影響に加え、年々厳しくなるメディアのコンプライアンスにより、上島竜兵さんが得意とする、体を張ったギャグをテレビで披露するのが難しくなってきていました。
近年「痛みを伴う笑い」がBPO(放送倫理・番組向上機構)によっても問題視されていると言われています。
とはいえ、この件についてBPOのサイトを確認したところ、上島竜兵さんやダチョウ倶楽部のいわゆるお約束芸は、問題とされる「痛みを伴う笑い」の対象にはならないと掲載されていました。以下抜粋です。
Q:先日、亡くなられた人気芸人の熱湯風呂やアツアツおでんのような芸は、痛みを伴うバラエティーの対象にならないと考えてよろしいのでしょうか。
A:(緑川副委員長)
ご本人の芸は有名ですし、今までの説明や質疑応答でもお話ししたとおり、今回の委員会の『見解』が対象にしているものでないことはご理解いただけたのではないかと思います。
今回の『見解』の4ページに、他人の心身の痛みを周囲の人が笑うことを視聴することの意味ということで、今回の『見解』の趣旨を特徴づけていることをご理解いただけるのではないかと思います。文脈があり、見ている人たちが気持ちよく笑える演芸とか芸とか技術とか、そういう域に達している笑いの中に痛みがあるということを問題にしているのではなく、そこを人が嫌がって避けようと思っていて、避けたいのに羽交い絞めにして痛みを与え、そのことをさらに周りで嘲笑していることが、科学的には子どもによい影響を与えないということがあるのではないかということを、一定程度考えて番組制作をしていくためのひとつの情報というか、そういうことがあるのだということを共有していきたいという趣旨で作った『見解』です。そういう観点から番組制作に役立てていただければと思います。
この見解からすると、こうした芸をテレビで放映できないのは芸そのものの問題ではなく、見せ方(演出)の問題によるものであることが理解できます。
熱々おでんや熱湯風呂はそれを周囲が嘲笑するような事をしなければお咎めがないということです。
しかしながら、テレビ局にしてみれば視聴者からのクレームは避けたいもの。少しでもリスクを回避するために、こうした芸風一般を自ら規制をしているというのが実情でしょう。
テレビ局側の自主規制によって、テレビでは上島竜兵さんの芸風が思うように発揮できなくなってきたのは事実です。
加えて、劇場やライブといった表現手段もコロナ禍による自粛で規制されてしまい、精神的なストレスは増していったのではないでしょうか。
これもまた決定的ではないにしろ、上島竜兵さんを死にいたらしめた一因かもしれません。
アルコール中毒でうつ状態だった説
上島竜兵さんがアルコール中毒であったという事実は、ネット上を調査してもありませんでした。
しかし、生前はかなりのお酒好きとして知られており、自殺した当日も飲酒をしていたようです。また当時、周囲には「最近寝つけなくて、お酒を飲んでも眠れない」とも洩らしていました。
しかし、上島竜兵さんのように60歳代で自分にとってかけがえのないものを失う経験をした人が、それをきっかけとして初老期うつを発症するケースが多いとされています。
上島竜兵さんの場合は、志村けんさんが亡くなったことはもちろん、コロナ禍によって自分が大切している芸が思うように披露できず、「自分はもうダメだ」と思い詰めていたのかも知れません。
周囲からは、いつまでも若い頃と同じ「ダチョウの竜ちゃん」というキャラクターを求められるのに、自分自身はそのようにふるまえないギャップに思い悩んでいた可能性は否定できないのではないでしょうか。
もし上島竜兵さんが初老期うつを発症していたのであれば、大好きだったお酒もまた自殺へと行動を移すきっかけとなり得ることが厚生労働省のサイトで示されています。
a. 飲酒が絶望感・孤独感・憂うつ気分といった心理的苦痛を増強する
b. 飲酒が自分に対する攻撃性を高める
c. 飲酒は人の予想に変化をもたらして死にたい気持ちを行動に移すきっかけとなる
d. 視野を狭めて自殺を予防するために有効な対処手段を講じられなくなる引用元:
上島竜兵さんがうつやアルコール中毒であったという決定的な証拠はありません。
しかし、コロナ禍の閉塞的な空気の中、初老期うつを発症し、飲酒によって心理的苦痛を強め、視野狭窄により死への誘惑に抵抗できなくなってしまった、という可能性は十分あるのではないでしょうか。
有吉や竜兵会メンバーによるいじめ説
竜兵会とは上島竜兵さんを慕う芸人仲間の集まりで、主に太田プロダクション所属の芸人によって構成されています。
主要メンバーには肥後克宏、土田晃之、有吉弘行、ノッチ、安田和博、劇団ひとり、カンニング竹山(敬称略)といった面々が名を連ねています。(カンニング竹山氏は太田プロダクション所属ではありません。)
今改めて見てみると錚々たるメンバーですが、彼らの無名の時期を先輩として支えていたのが上島竜兵さんでした。
彼らが、まだ全く売れていないお金の無い時代に食事に誘ったり、相談にのったりと色々世話をしてあげていたそうです。
そんなメンバーの中でも特に上島竜兵さんが気にかけていたのは有吉弘行さんでした。芸人として不遇だった時代には、上島竜兵さんは毎日のように一緒に過ごして食事や金銭面でも面倒を見ていました。
「月30万やるから、仕事せずにいつも俺のそばにいてくれ」と、まるで親子のように、上島竜兵さん自身が有吉弘行さんの存在自体を必要としていたのです。
しかし、竜兵会ではメンバーが「イジられ芸人キャラ」としての上島竜兵さんを、先輩であろうとも容赦なくイジるのが「お約束」のコミュニケーションとなっていました。
SNS上では、この竜兵会の上島竜兵イジリが、上島竜兵さんを自殺に追いやったのではないか、と問題視する声も上がっています。
家族同様の関係性をもつ竜兵会のメンバー達は、ボスであるとはいえ、というよりむしろボスだからこそ、芸においては上島竜兵さんに遠慮はしません。
上島竜兵さんはイジラレてなんぼのリアクション芸人です。後輩芸人達は、上島竜兵さんに最高のリアクションをしてもらうために敢えて毒舌を吐くのです。
以前テレビ番組「EXE」で有吉弘行さんと土田晃之さんが竜兵会の掟について話していたことがありました。
「上島竜兵を敬わない」(別に面白くもない。ただの老害なのでお世辞は言わない方が良いとのこと)
「肥後克宏の話はニコニコして聞いてあげる」(朗らかなただの馬鹿。本当の能無しの話は、ニコニコして聞くのが流儀)
「寺門ジモンの話はしない」(理由は嫌われているから)
引用元:https://japan.techinsight.jp/2010/09/ariyosi_datyou1009061213.html
等、普通の人が聞けば相当キツイ発言をしていました。かつての竜兵会では、上島竜兵さんが後輩を支え、また時には上島竜兵さんや肥後克宏さんの愚痴を後輩が聞いていたそうですが、今は立場が逆転して、後輩芸人達が二人のダメ出しをしていたようです。
当然これらは「ネタ」であり、家族同様の信頼関係があるからこの毒舌が吐けるのです。
私たち一般市民からしてみればイジメと捉えられかねない行為や発言であっても、竜兵会のメンバー達にとっては敢えてコンプライアンスのギリギリのところで勝負するのが流儀だったのでしょう。
また、有吉弘行さんの「上島竜兵愛」は深く、以前テレビ番組で「上島竜兵のことを悪く言うことは許せない」と話していました。
「自分の怒りスイッチ、自覚していますか?」がトークテーマ。有吉は親交の深いダチョウ倶楽部・上島竜兵(59)の名前を出し、「僕の場合だと上島さんね。一緒にご飯食べているときに上島さんのことバカにされると俺は入っちゃうのよ」と語った。
引用元:スポニチ
本日1月20日は大寒。
一年で最も寒くなるとされる日。
ということは、もちろん上島竜兵の誕生日です!— 有吉弘行 (@ariyoshihiroiki) January 20, 2020
このように、有吉弘行さんは上島竜兵さんの誕生日には必ずTwitterでつぶやき、誕生日を祝っていました。
還暦の時はオメガの赤い時計(30万円相当)という高価なプレゼントでお祝いしたことは有名ですよね。
上島竜兵さんも、このオメガの赤い時計をとても大切にされていて、毎日身につけていました。
着用後はキチンとケースに仕舞って枕元に置いてから眠ることを習慣にするほどでした。
上島竜兵さんと有吉弘行さん及び竜兵会の間には、私たちが知らないとても深い信頼関係があったことが以上のことからご理解いただけたかと思います。
たとえイジりが一般世間の理解を超えるレベルだったとしても、それが自殺の直接の原因だったとまでは言えないでしょう。
土田晃之の「金づる発言」が原因説
ことの発端は、2022年4月21日、土田晃之さんがナイツのラジオ番組(ニッポン放送「ナイツ ザ・ラジオショー」にゲスト出演した時のコメントでした。
「だって上島さんの『竜兵会』って、上島竜兵は慕われている!と思っている人いるかもしれないけど…金づるだからね」と断言し、「有吉(弘行)とか、劇団(ひとり)とか、みんな金ないときに(竜兵会に)行ってるんだから。稼ぐように…金あるようになったらいっこも行かないんだから。で、上島さんもビビッて電話できないんだから」
引用元:スポニチ
この番組の放送が上島竜兵さんが亡くなる直前だったため、この土田晃之さんの発言が原因で、上島竜兵さんが自殺したのではないかとネット上で物議を呼んだのです。
SNS上でもこんなコメントが飛び交いました。
《金づるは流石に…》
《イジりというより陰口に近いし、こんなん明らかライン越えだし》
《こんな酷いこと言われてたんですね。亡くなる前の発言にしても酷すぎる。土田さんにドン引きです》
《こんなこと後輩に言われたら、相当ショックだろうな。誰にも相談できなかったのかな》
《精神的にトドメになってしまったのかな…。ネタでも金づるとか言われたら辛いでしょ》引用元:まいじつ
しかしながら、これもまた竜兵会では鉄板ネタで、前述したように土屋晃之さんの上島竜兵いじりは今に始まったことではありません。
このネタは「アメトーーク」や他のテレビ番組でもよく話されていました。
上島竜兵さん自身も、「サラリーマン竜兵会」(2012年双葉社)で
まあ、 偉そうなこと言ってるけど、 俺みたいな上司だと普通はナメられるよね。 その 点、竜兵会の連中はうまいよ。 俺のこと番組でネタにしてくれたり、持ち上げてくれたり。 それが大事なんだよ。それで俺にも仕事が回ってくるんだから。みんな頼むよ、もっと俺の話してくれよ?
引用元:竜兵会. サラリーマン芸人。 (双葉文庫)
と述べているように、こういったイジリを上島竜兵さんも公認しています。
竜兵会のメンバーは敢えて上島竜兵さんをイジリ、ネタとして提供することで、上島竜兵さんやダチョウ倶楽部をメディアに露出させようとしているのです。
土田晃之さんは竜兵会では、広報担当で、前述の「サラリーマン竜兵会」でもかなりの毒舌で上島さんや肥後さんをこき下ろしていました。しかし、次のようにも述べています。
もともとは、誰かの下につくのも興味なかったんですけど。そういうのはどうでもいいと思ってたんですけど、宝物見つけたんで。上島竜兵っていう、とんでもない宝物を見つけたんで。「こいつの下だったらつきたい」みたいな。「 一生この人を持ち上げてってやろう!」って思うぐらいの存在だったから。
引用元:竜兵会. サラリーマン芸人。 (双葉文庫)
土田晃之さんにとって上島竜兵という人物は「宝物」であり、竜兵会という特殊な信頼関係があってこそのイジリであることが理解できます。
なぜ遺書がなかったのか?
上記の記事でもお話ししましたが、一般的に自殺をされる方は突発的に死を選択する場合と計画的に自殺を実行する場合に大別されます。
内閣府の統計(平成18年度)によれば、遺書を残している自殺者は全体の約3割にとどまります。
様々な事情があるとはいえ、自殺を選択する人の7割近くが遺書を残さないという事実は、いかに突発的に死を選んでしまう人が多いかを表しているのではないでしょうか。
上島竜兵さんの場合も、遺書がないことから計画的に自死をしたわけではなく、突発的に行われたものだと推測できます。
では、上島竜兵さんはなぜ突発的に自殺をしてしまったのでしょうか?
ここでは自殺の対人関係理論(ジョイナー)を用いて考察していきたいと思います。
自殺の対人関係理論とは、何故人が自殺をするのかを説明し、誰に自殺のリスクがあるのかを特定する理論で、フロリダ州立大学の心理学教授トマス・ジョイナーによって考案されました。
ジョイナーによれば、「自殺をしよう」という意思決定は3つの要素から成り立つとされています。
まず、人が「死んでしまいたい」と思うとき、この自殺願望は「所属感の減弱」と「負担感の知覚」という二つの要素によって生み出されるとジョイナーは述べています。
しかし、ひどく落ち込んでいる時に「死んでしまいたい」という思いを抱いた経験のある人は少なからずいるでしょう。
それは取りも直さず、自殺願望が必ずしも自殺という行動に直結するわけではないことの証拠でもあります。
自殺する人は自殺願望にとらわれていますが、それだけでは、人は必ずしも自死を選択しないのです。
ジョイナーは自殺願望と自殺の実行をつなぐもう一つの要素、それは「自殺への潜在能力」を身に着けていることだとしています。
以下、この3つの要素について解説します。
所属感の減弱とは
人とのつながりがなく、孤立している状態のことを指します。
ここには実際に他人との接触や人間関係がない状態だけでなく、「自分の居場所がない」や「誰も自分を必要としている人などいない」という主観的な孤立も含まれています。
総じて「自分が他人や世界に受け入れられていない」という感覚だといえます。
負担感の知覚とは
「自分が生きていることが周囲の迷惑になっている」「自分がいないほうが周囲は幸せになれる」というように、自分が他人や社会にとってのお荷物であると考えるようになることです。
この見方が過剰になると「お荷物である自分がいなくなることは、他人や社会にとっての負担をなくすことであり、価値のあることだ」と考えるようになり、自殺を正当化してしまいます。
ジョイナーは、「世界が自分を必要としていない」という所属感の減弱と「自分は世界にとってマイナスになる」という負担感の知覚が重なったとき自殺願望が生じるとしています。
しかし先ほども述べた通り、自殺願望がよぎることはさほど珍しいことではありません。
自殺を実行に移すためには「身についた自殺潜在能力」が必要なのです。
自殺潜在能力とは
人間は誰しも死に対する恐怖感や、苦痛を避けようとする生命維持の本能を持っています。
これらが機能していることで、私たちは「死にたい」と思うことはあってもそうそう自殺を選ぶようなことはありません。
しかし、ジョイナーによれば、これらを超えて人間を自殺に向かわせる潜在能力が存在するというのです。
ジョイナーがこれを「身についた」潜在能力と呼ぶのは、それが本来先天的に人間のもっている能力ではないからです。
自殺行動をとるこの潜在能力は、人生経験を通して獲得されとしています。
人は誰しも死への恐怖を持っているものです。
しかし、ジョイナーの理論によれば、肉体的な痛みや挑発的な人生経験にさらされた人間は「死ぬ」という行動に対してのハードルが低くなるとされています。
つまりつらい経験の繰り返しを経て、死への恐怖感が弱まってしまうのです。
例えば、警察官や格闘技家や医師などの職業に就いている人々は、日々の仕事の中で常に身体的苦痛や経験に遭遇するリスクを抱えており、痛みを伴う経験に対する恐怖に慣れているといえるでしょう。
こういった経験を重ねていくことで、時として人は死を恐れない「能力」を獲得してしまうのです。
これら3つの要素が重なり合った時、人は切迫した自殺の危機に陥るとジョイナーは言います。
上島竜兵さんの場合、身体を張ったリアクション芸人であり、番組の企画などで怪我を負ったり、命にかかわるような危険な撮影に挑んだりしたこともあったと思います。
上島竜兵さんもまた、こうした人生経験を積むことで、ジョイナーの提示する自殺潜在能力を身につけてしまったのではないでしょうか。
加えてコロナ禍による自粛で、皆でわいわいと楽しくお酒を飲むこともできなくなり、自分の居場所がなくなったと感じていたかも知れません(所属感の減弱)。
また竜兵会メンバー鉄板のイジリも、ネタとしてやっていることに理解はしていても、「お荷物」や「老害」扱いに実のところ心を痛めていたのかもしれません(負担感の知覚)。
以上のようにジョイナーによる自殺の対人関係理論にあてはめると、上島竜兵さんは自殺を選択するのに十分な状況にあったと言えます。
まとめ
上島竜兵さんは、師として仰ぐ志村けんさんが新型コロナウイルスによる肺炎で亡くなったことを原因として、その喪失感から初老期うつを発病していたのではないでしょうか。
そしてコロナ禍で密になるという理由から、上島竜兵さんの最も得意とするリアクション芸をテレビで披露することができなくなってきました。
近年のテレビ局側の自主規制の強化によって熱々おでんや熱湯風呂ができず、仕事においても今後の行く末について悩んでいたのかも知れません。
初老期うつを発症していたとすれば、精神が弱ってもろく傷つきやすい状態に陥り、以前ならなんとも思わない自身にたいする鉄板ネタとしてのイジリも上手く流せなかったのではないでしょうか。
上島竜兵さんにとって竜兵会は後輩を支援するためだけでなく、楽しく愚痴りながらお酒を飲む場としても大切なものででした。
しかし、コロナ禍で頻繁に飲みにもいけず、売れていった後輩芸人達も忙しくなり、一緒に飲む機会も減ってきたことに疎外感を感じていたかも知れません。
これら様々な要因が重なりあって、上島竜兵さんは自死に至ったのだろうと考えられます。
はたから見れば大勢の仲間に囲まれていても、自分の本心を仲間から理解されてないと感じ、仲間たちとは心が通じあっていない、と自覚していたら、それは単なる孤独以上の孤独感をもたらします。
仲間は本人と交流があると勝手に思っていても、実際に本人が自分のことを全く理解されていないと思っていれば孤独なのです。
上島竜兵さんは多くの仲間に囲まれ、愛されていましたが、心の深い所では孤独だったのかもしれません。
今となっては真相はうかがい知れませんが、ただ今は心よりご冥福をお祈りいたします。